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広島高等裁判所 昭和39年(ネ)20号 判決 1967年1月30日

控訴人

椿繁久

控訴人

椿秋子

右両名訴訟代理人

塚田守男

被控訴人

右代表者法務大臣

田中伊三次

補助参加人

大橋芳彦

右訴訟代理人

竹内俊平

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人等の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人指定代理人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張と証拠関係は、次の一、二、三、四を附加するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一、被控訴人指定代理人は、次のように述べた。

(イ)控訴人等先代椿シマが昭和三七年二月二二日死亡したので、控訴人等が共同相続したことは認める。

(ロ)本件土地は、もともと宅地であり、戦時中一時家庭菜園として利用されたことがあるに過ぎず、自作農創設特別措置法による買収または売渡の対象となるべき農地ではないし、また、本件土地については、買収計画の樹立その他買収処分に関する手続は何等実施されていないのであるから、その買収処分を前提とした本件売渡処分は無効であつて、控訴人等は、右の売渡処分によつて本件土地の所有権を取得する筈がない。

(ハ)時効の援用は、真実の権利関係と永続した事実状態との調和をはかるために設けられた制度であるから、時効の援用権者は、直接時効の利益を享受する者に限られるべく、その援用の相手方も、これと相容れない権利を有する者に限られると解すべきである。しかるに、被控訴人は、本件土地の買収処分および売渡処分の無効を理由に、その売渡処分に基づく登記の抹消を求めているに過ぎず、本件土地の真実の所有権者ではないから、控訴人等は、被控訴人を相手方として所有権の取得時効の援用をなすことはできない。

(ニ)そうでないとしても、椿シマが本件土地の売渡通知書の交付を受けたのは昭和二六年三月二日頃であるから、同人は、その頃、本件土地の自主占有を始めたものといわなければならない。そして、本件土地は、田万川町江崎本通りの目抜きの場所に位し、街道に沿う竹垣に囲まれた補助参加人方の家敷地内の一部であつて、売渡当時も一見して宅地であることは明瞭であつた。椿シマは、本件土地の隣接地に居住していたから、本件土地が右のような宅地であることを知つていた。椿シマは、魚小売商で非農家であり、戦時中の食糧不足を補うため、本件土地の管理人立野行之の許可を得て、無償で、本件土地を家庭菜園として利用するようになつたものである。したがつて、椿シマは、本件土地が農地でも小作地でもなく、また、自己が耕地を持たず、農業に精進する見込もないので、農地売渡の相手方となり得ないことは、特に調査をするまでもなく容易に知り得た筈であるのに、その買受の申込をし、被控訴人から売渡通知書の交付を受けたのであるから、椿シマは本件土地の売渡処分が違法であることを知り得べかりしものであつて、その本件土地に対する占有は、その始めに過失があつたものといわなければならない。

また、本件土地のうち原判決添付別紙第二目録記載の土地は、訴外御手洗勇の賃借家屋の軒下の家敷内の土地であり、同人が占有していたのであるから、椿シマ及び控訴人等は当初から占有していない。

したがつて、本件土地について控訴人等主張の取得時効が完成する余地はない。

(ホ)被控訴人は、昭和三四年二月一九日椿シマに対し本件土地の返還および登記抹消を催告し、同日から六カ月以内である同年八月一七日本訴を提起したので、これによつて控訴人等主張の取得時効を中断したものである。

時効の中断は、時効の完成を阻止するものであるから、時効の完成によつて当該権利に消長を来たす者が中断を行い得るのであるが、取得時効について時効の完成により権利に消長を来たす者は、ただ、時効の完成によつて所有権を喪失する前所有者だけに限定すべきいわれはなく、例えば、不実の所有権移転登記を受けている占有継続者に対して登記請求権を有する者も、時効の完成によつて当該登記請求権を喪失し、また、真実の所有者に登記を回復する義務が履行不能に陥り、損害賠償義務を負担しなければならなくなるから、時効の完成によつて直接に権利に消長を来たす者であり、これらの者も当然に時効の完成を中断し得ると解すべきである。

時効の中断をなし得る者の範囲は、時効の援用権者の範囲について、時効の援用をさせる必要があるかどうかで、その範囲を合理的に解しようとされているのと同様に、中断をさせる必要があるかどうかによつてその範囲を決すべきである。

実体的権利関係と符合しない登記抹消請求訴訟の提起により当該登記名義人の取得時効は中断されるのであり(同旨、大審院昭和一三年五月一一日判決)、また、不動産につき、甲、乙、丙と順次所有権が移転したものとして順次所有権移転登記がなされた場合において、各所有権移転行為が無効であるときは、甲が乙、丙に対して各所有権移転登記の抹消登記請求権を有するほか、乙も、また、丙に対して所有権移転登記の抹消登記請求権を有しているのであり(同旨、最高裁判所昭和三六年四月二八日第二小法廷判決)、そして、右丙に対する甲、乙の抹消登記請求権は、二つの請求権が競合しているものでなく、同一の請求権であるから、甲或いは乙の登記請求権の行使によつて双方の有する登記請求権が行使された効果を生ずるから、中断行為に関与したとみられる甲、乙双方に対し中断の効力が及ぶものというべきであり、その効力は、甲または乙に相対的にとどまるものではない。

被控訴人は、控訴人の取得時効の完成により、直接に、控訴人等の先代椿シマの不実の所有権移転登記に対して有する抹消登記請求権を喪失してしまうものであり、また、真実の所有者に対し登記を回復すべき義務を負担しているのに、それが履行不能に陥つてしまうものであるから、被控訴人は、控訴人の取得時効の完成によつて直接に権利を喪失するものであり、時効を中断すべき必要があるから、時効を中断しうるものと解すべきである。そして、本件登記請求権に基づく本訴請求により、控訴人の取得時効は中断を来たしているものというべきである。

(ヘ)仮りに、椿シマが当初は前記第二目録記載の土地を占有していたとしても、その後、任意にその占有を中止したものであるから、控訴人等主張の取得時効は、少くとも本件土地のうち右の部分については完成しない。

二、補助参加代理人は、次のように述べた。

補助参加人は、昭和三三年一二月二二日、山口県知事を相手取つて、山口地方裁判所に、本件土地の買収処分不存在確認請求の訴を提起し、同庁昭和三三年(行)第一〇号事件として係属し、昭和三九年二月一七日本件土地に対する買収処分の存在しないことを確認する旨の判決の言渡がなされ、その後、同判決は確定したが、被控訴人の代行機関たる山口県知事において右の買収処分が存在するものとしてなした控訴人等先代に対する本件土地の売渡処分は、その取消あるまでは一応行政処分としての効力を有する。したがつて、知事は、右売渡処分の取消前に時効中断のため、控訴人等先代に対して、本件土地の所有権移転登記の抹消を求めることができる。

被控訴人としては、補助参加人のために、控訴人等先代の所有権取得登記を抹消し、更に、被控訴人の所有権取得登記も抹消した上、本件土地を回復させる債務を負担しているものであるから、その債務の履行として右の登記の抹消を求めることができ、これによつて時効中断の効果を生ずるものである。

また、知事は、本件売渡処分の取消を前提として、控訴人等先代に対し、本件土地の売渡による所有権移転登記の抹消登記請求権を有する債権者であり、これに対して、控訴人等先代は協力義務を有する債務者であるが、債務者に時効完成によつて本件土地を売渡のなかつた以前の状態に回復しないおそれがある以上、知事は、債権者代位権の行使により保存行為として時効中断ができるものと解する。

以上の主張が理由がないとしても、前記山口地方裁判所昭和三三年(行)第一〇号事件の訴訟手続中において、右事件の被告山口県知事の指定代理人古藤保正は、同被告において椿シマに対し所有権移転登記を抹消するよう交渉し、同女がこれに応じないときは訴訟によつて右登記を抹消させるから、右訴訟事件の進行を暫らく待つて貰いたい旨右事件の原告(補助参加人)代理人に申出でたので、同代理人は右申出を了承し、椿シマに対する交渉を古藤保正に依頼した。その結果昭和三四年二月一九日頃山口県知事の指定代理人たる古藤保正、渡辺信久両主事が控訴人等先代椿シマに対し本件土地の所有権移転登記の抹消を催告し、更に本訴が提起されるに至つたのである。したがつて、右古藤、渡辺両名は被控訴人の代行機関たる山口県知事の代理人であると同時に、本件土地の所有者である補助参加人の委任を受けてその代理人として右催告をなし、更に補助参加人のために本訴提起に及んだのであるから、これにより本件土地に対する取得時効は中断されている。

三、控訴代理人は、次のように述べた。

本件土地は、買収当時、買収の対象となるべき農地であり、その買収計画ならびに買収令書の交付は適法になされていたものである。したがつて本件土地の売渡処分は適法であり、これにより椿シマは、本件土地の所有権を取得したのである。

仮りに、右売渡処分が無効であるとしても、椿シマは、従前主張のように十年の取得時効の完成によつて本件土地の所有権を取得したものである。

そして、時効の援用は、訴訟上の防禦方法に過ぎず、援用の相手方については法律上何等の制限がないから、控訴人等は、被控訴人に対しても、右の取得時効を援用することができるのである。

椿シマは、昭和三七年二月二二日死亡したので、控訴人等は、共同相続によつて本件土地の所有権を承継した。

仮りに、控訴人等の時効取得の主張が理由がないとしても、被控訴人に本件土地の所有権がない以上、控訴人等に対して被控訴人主張の各登記の抹消登記を求める根拠が明確でないから、本訴請求は失当である。

四、<証拠>

理由

原判決添付別紙第一、第二目録記載の本件土地は、いずれも補助参加人の所有であつたが、登記名義は先代大橋忠久のままであつたこと、被控訴人は、右各土地につき、自作農創設特別措置法第三条による買収処分のなされたことを前提とし、同法第一六条により控訴人等先代椿シマに対する売渡処分をなしたこと、右第一目録記載の土地につき、山口地方法務局須佐出張所昭和二六年八月三一日受付第一、二三四号をもつて昭和二六年三月二日付買収ならびに売渡を原因とする各所有権移転登記がなされ、また、右第二目録記載の土地につき、同出張所昭和二六年六月二〇日受付第八四五号をもつて政府売渡を原因として直接椿シマ名義の所有権保存登記がなされていること、椿シマが昭和三七年二月二二日死亡したため、控訴人等が共同相続したことは、当事者間に争いがない。

ところで、<証拠>によれば、右の各土地は、田万川町大字江崎の本通りに沿う住宅街にあり、もと補助参加人方の屋敷跡の一部であること、その近所に居住して鮮魚の行商を営んでいた椿シマは、補助参加人が大正一二年頃から夫婦揃つて満州に渡つて不在中だつたので、右土地の管理人立野行之の了解を得て、昭和一六年頃から無償で家庭菜園として右土地を利用していたこと、江崎町農地委員会では、本件土地について農地買収計画の樹立はもとより、その公告や縦覧を行つたこともなく、買収令書の交付またはこれに代わる公告をなしたこともなく、被控訴人において本件土地を農地買収した事実がないこと、そして、補助参加人が、昭和三三年一二月二二日、山口県知事を相手取つて、山口地方裁判所に、本件土地の買収処分不存在確認請求の訴を提起し(同庁昭和三三年(行)第一〇号)、昭和三九年二月一七日、本件土地に対する買収処分の存在しないことを確認する旨の判決の言渡がなされ、同判決がその頃確定したこと、山口県知事は昭和三四年四月二日本件土地の売渡処分を取消したことが認められる。

そうしてみると、本件土地について、買収処分が存在しない以上、これを前提とした売渡処分はその取消をまつまでもなく当然無効であり、したがつて、かような売渡処分にもとづいて椿シマが本件土地の所有権を取得するいわれがない。

もつとも、控訴人等は、先代椿シマのために完成した十年の取得時効を援用するので、この点について検討する。

被控訴人は、自己が本件土地の真実の所有権者ではないから、控訴人等が所有権の取得時効を援用する相手方として適格がないと主張する。なるほど、前記のとおり本件土地の買収処分が存在しないとすれば、もともと、被控訴人は、本件土地の所有権を取得していないのであるけれども、右の買収処分を前提とした売渡処分が無効であることにより、被控訴人は、真実の所有者の権利を原状に回復せしめるため、椿シマに対して、本件土地の返還およびその登記の抹消を求める権利があるといわねばならない。(参照、最高裁判所昭和三二年(オ)第一二〇八号同三六年四月二八日第二小法廷判決。)しかるに、椿シマは、本件土地の取得時効の完成によつて被控訴人に対する右の義務を免れ得るわけであるから、椿シマの承継人たる控訴人等は、直接取得時効の利益を受ける者として、被控訴人に対しても、右時効の援用をなすことができるものと解するのを相当とする。

<証拠>によれば、控訴人等先代椿シマが、本件土地について、昭和二三年二月三一日を売渡の時期と定めた昭和二四年三月五日発行の売渡通知書の交付を受けたのは、おそくとも昭和二四年三月中であること、そして、椿シマが右売渡通知書の交付を受けた時から、後記認定の昭和三四年二月頃まで、本件土地のうち前記第一目録記載の土地につき、所有の意思をもつて平穏且つ公然に占有を継続していたことを認めることができ、<証拠>よつても右の認定を動かすに足りない。そして、椿シマが右土地の自主占有を始めるについて、たとえ、本件土地の売渡処分に被控訴人主張のような瑕疵があつて、右の処分が無効であるとしても、苟くも国が法律の規定にしたがつてなした行政処分である以上、椿シマが右土地が右売渡処分によつて自己の所有に帰したと信じたことには過失はなかつたものといわねばならない。(参照、最高裁判所昭和四〇年(オ)第一四五二号同四一年九月三〇日第二小法廷判決。)

<証拠説明省略>

次に、被控訴人は、控訴人等主張の取得時効の中断を主張するので、その点について判断する。

<証拠>よれば、山口県農地課職員渡辺信久が、被控訴人の代理人として、昭和三四年二月中おそくとも同月二一日までには、椿シマに対して、本件土地の売渡処分の無効であることを告げて、その所有権移転登記および保存登記の抹消を催告したことを認めることができ、その後、六カ月以内である昭和三四年八月一七日本訴が提起されたことは、本件記録上明らかである。

元来、取得時効は、取得者側の占有を基礎とし、反対の事情なくして継続する事実上の状態を尊重しようとする制度であり、ある事実上の状態の継続中、その事実上の状態と相容れない事情が発生するときは、もはや、その事実上の状態を尊重する理由を失うことになるから、すでに進行した時効期間の効力を失わしめるのが、いわゆる時効の中断である。本件の場合、本件土地の買収処分が存在せず、その結果その売渡処分が当然無効である以上、本件土地の所有権は依然として補助参加人に属しているのであるが、形式上は右所有権は補助参加人から被控訴人に、更に被控訴人から椿シマに移転し、その旨の所有権移転登記がなされているのである。したがつて、被控訴人は、補助参加人に対し椿シマに対する所有権移転登記を抹消し、補助参加人の登記名義を回復すべき義務を負うている。一方、椿シマが本件土地につき取得時効の基礎たる自主占有を始めるに至つたのは、被控訴人から本件土地の売渡を受けたためであつて、それまでは同女は使用貸借により本件土地を耕作していた他占有者であつたのである。すなわち、椿シマは本件土地の売渡処分が有効であり、それにより被控訴人から本件土地の所有権を取得したものと信じて本件土地の自主占有を始めたものである。したがつて、たとえ実際には被控訴人は本件土地の所有権を取得しなかつたとしても、本件土地の取得時効の基礎たる事実状態に関する限り、被控訴人は椿シマに対する関係において本件土地の売渡人として所有者と同一の立場にあるものである。ところで、本件土地の売渡処分が無効である以上、椿シマが被控訴人に対し、売渡処分の無かつた以前の状態を回復すべき義務を負うものであることは明らかである。すなわち、同女は、被控訴人より取得した(と信じている)本件土地の所有権を被控訴人に返還し、且つ所有権取得登記を抹消すべき義務を負うているのである。したがつて、右義務の履行を求めて、被控訴人が椿シマに対し本件土地の所有権取得登記の抹消を請求した以上、同女はこれに応ずべき義務があるのであるから、同女は右登記を抹消すべきものであり、それにより同女が本件土地の所有権を有しないことが明らかになる結果同女の本件土地に対する占有は、右売売処分前の状態である他主占有に復帰すべきはずのものであつて、被控訴人の右請求により同女の取得時効の基礎たる事実状態は破壊されたものといわねばならぬ。被控訴人は椿シマに対し本件土地の返還及び所有権取得登記の抹消を請求する権利を有するのであるから、被控訴人のなした前記催告及び本訴の提起により、本件土地に対する同女の取得時効が中断されたことは明らかである。(参照、大審院昭和一二年(オ)第二四二九号同一三年五月一一日判決。)

そうしてみると、控訴人等の取得時効の抗弁は理由がなく、椿シマは、本件土地について所有権を取得していないことになるから、本件土地についてすでになされた前記各登記は、いずれも実体に符合しない無効のものであるといわなければならない。

被控訴人が椿シマに対し本件土地の前記各登記の抹消登記請求権を有することは、前記のとおりであるから、同女の相続人である控訴人等に対して、右抹消登記手続を求める本訴請求は、すべて理由のあることが明らかであり、認容すべきものである。これと同趣旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がない。

よつて、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条、第九三条の規定を適用して、主文のとおり判決する。(松本冬樹 辻川利正 浜田 治)

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